智が車にひかれた。
場所はポストと黄色の公衆電話があるいつものところ。
この場所って、重子の家の近くでもあり、賢秀が我那覇と再会した場所でもあり、杉並にある暢子のお店「ちむどんどん」の近所でもある。
似ているけど、違う場所という体なのだろうか。
この場所はすごく狭い道で車が一台やっと通れるくらい。
智は瀕死の重体ということだが、車にひかれるシーンがなかった。
ちむどんどんって車を頑なに見せないけど、何か意図があるのかな。昭和50年代の話だから当時の車くらいは用意できそうなものだけど。良子が山原ではマイカーを持つ人が増えて、みんなマイカーでスーパーに買い物に行って、地元の野菜を食べないという話をしていたときも、セリフだけで、車は一切登場しなかった。
ちむどんどんで車を見たのは、やんばるのバスのシーンだけのような気がする。
瀕死の重体がどれほどの状態かわからないけど、狭い道で車もそれほどスピードを出していないだろうから、意識はあると思う。
良子が博夫に渡してもらった文献の中に食育という言葉を見つけた。
食育という言葉って昭和50年代にすでに存在していた言葉なのかな?時代考証はちゃんと行われているのだろうか。