暢子が和彦のアドバイスを全否定してびっくりした。客層的に男性で仕事終わりのサラリーマンや力仕事で汗を流した人が多いのに、いきなりイタリア風おでんが出てきたらびっくりすると思う。
もし、イタリア風のおでんで押し通すなら、女性客をターゲットにして、場所を移し、屋台も小洒落た感じにする必要があると思う。
暢子が迷走しているのはわかるけど、そもそもセツのおでんの屋台がうまくいかなかった理由は何なのだろう。暢子は一度味見をしていて特にまずいとも言っていなかったので、味に問題があるとは思えない。
房子にまた世話になったと言いながら、腰が痛いと言って暢子のことを全然手伝わないので、味がどうこういうより単にやる気の問題だったのだろうか。
暢子が房子に対する愚痴を言ったとき、セツが暢子にぶち切れたけど、房子に恩義を感じているならまずお前が暢子を手伝えと思った。
賢秀(ニーニー)はフォンターナに紅茶豆腐を置いてもらえたのだろうか。多分、ダメだったのだろうけど、誰が追い返したのだろう。ここの描写がなかったのは残念だった。
我那覇はすでにトンズラしたと思ったけど、まだいた。副社長の肩書きの付いた賢秀の名刺を渡し、CM制作費の不足分15万円を賢秀に要求。
今週は1974年(昭和49年)のはずだけど、15万円って大金なのかな?紅茶豆腐は最初500円で売っていて、今日は値下げされて300円になっていた。1974年なんてつい最近な気がして、500円もそんなに高いとは思わなかったけど、あの紅茶豆腐って今の価値で換算すると、高級栄養ドリンク並の値段だったのかな。だとすると、この時代の15万円って今だと100万円くらいの価値に相当するのだろうか。
賢秀が優子に15万円を無心したけど、実家に戻った良子が止めてくれた。ただ、優子はまた給料の前借りで借金して賢秀に工面しそうで怖い。
良子は家事育児をあまりやってくれない博夫に嫌気がさして、晴海をつれて実家に戻ってきた。良子の言い分もわかるけど、教師という同じを仕事をやっていたわけだから、教師の大変さは身に染みてわかっているはず。同業者だった人に仕事のことを理解してもらえないのはメンタル的に相当つらいと思う。仕事から帰ってきて、家事育児を手伝うにしても限界があると思う。しかも良子は博夫と話し合って、教師をやめて子育てに専念したのだし。良子は、教師の代わりはいるけど母親の代わりはいないと言っていたのにどうしてしまったのだろう。
平良が暢子に迷ったときは入口に戻れとアドバイスしていた。これで仮に暢子が基本に忠実なおでんを作って、セツの屋台を再建したとして、ではなぜ今までセツの屋台はダメだったのかの理由の解説もちゃんとして欲しいなと思った。ちむどんどんの脚本はいつも肝心なところの説明がないのでよくわからない。週をまたぐと借金などがリセットされるシステムもちょっとどうにかしてほしい。
歌子の同僚の花城の沖縄弁がほかの沖縄の人たちと違うのはどうしてなのだろうか。